サークル・部活

2009年6月 8日 (月)

東洋大姫路高校ソフトボール部・泣き笑い創生期(1)

         山畑を 小雨はれ行く 若葉かな     蕪村

     Over the field on the mountain-side,

    The fine rain clears up;The young leaves.

 昨夜、ソフトボール部監督時、コーチとして助けて頂いたH先生から「兵庫県高校総体で優勝した」と連絡があった。21年前、「ソフトボール部をつくりたいので顧問になって欲しい」と10人ほどの生徒から頼まれた。学校では進学指導を任され、放課後2時間は補修授業、夏・冬・春休みはほとんど毎日出勤、日曜日は教会の礼拝と忙しくてクラブ顧問が出来る状態ではなかった。再三断ったが納得しない、何人かの教師にお願いしたが誰も引き受けてくれない。彼らの熱意に根負けして、週3日の練習を1年間続ければ同好会申請すると約束して引き受けた。

 始めてすぐに、問題山積に直面した。まずグラゥンドがない、学校には150メートル平方の第Ⅰグラゥンド、その下に80×40メートルほどの第2グラゥンドがあるが、広い方はサッカー部、小さい方は陸上部が占有していた。他の高校では練習日の割り振りをしたり、共有が一般的だったので、両部の顧問にお願いしたところ、若いサッカー部顧問からケンモホロロニ断られた。彼の言い分にも一理あった。広い方は創立以来野球部が独占し、体育の授業も片隅を使わせてもらう、全校行事の体育大会も内野フィールドには入らない約束だった。

 1977年「第59回全国大会」で野球部が、バンビ坂本投手で甲子園を沸かせた東邦高校を破って優勝、数年後、近くに立派な球場を作り移っていった。その後第1グラゥンドはサッカー部専用となる。若い激情的な顧問が「グラゥンド共有など甘ったれたことを言うな」には彼なりの長い鬱積があったわけだ。仕方なく、校内の空き地でキャッチボール、トスバッティング、ランニングを1年近く続けた。陸上部の顧問が同情して、上のグラゥンドの片隅を借りて、下の方を譲ってくれた。やっと専用練習場所ができた時の喜び忘れられない。

 同好会でないため活動費はない、1個1000円のボール代、1本10000円のバット代は顧問が持つことにした、初めは3本のバットをみんなで使っていたが足りなくなり買い足すことになる。校舎の床下に入ったボールを探さないなど管理しないので、毎月1~2ダース買う羽目になる。生徒の情熱だけは衰えず10数人の一人も脱落しない、部員が減れば止めるつもりだったのと私の懐具合の悪化して来たため生徒ほどの情熱は持ち合わせていなかったのが当時の正直な心境だった。

 1年過ぎて、生徒との約束の手前「同好会申請」年間三万円の活動費をもらうことになり、念願の兵庫県総体に初出場した、全員2年生のこともあって初戦完敗、この敗戦が負けず嫌いの私のソフトボールに対する思いを一変させ「いつか優勝して全国大会に行ってやる」決意になった。その夢が実現するとは考えてもいなかった・・・・・・・・・・・