天皇・皇后金婚式:愛と天皇制を考える
春の海 終日(ひねもす)のたりのたり哉 蕪村
The sea of spring/Rising and falling/All the day long.
幼い時から海が好きだった、戦時中は陸軍よりも海軍に入ることを考え、戦後は商船学校に入り、世界中を航海することを夢想していたが、受験科目が理数系中心だったのでやめた。中学の時は理科や数学が好きで得意科目だったが、高校で関数などに出合った時、学ぶことの意義に疑問を感じ始め、興味を失くし、不得意教科になってしまった。当然、船乗りの道は断念した。夏はもとより、春、秋、冬、海岸や浜辺に行って飽きもせず海を見つめ、海の香を嗅ぎながらいろんなことを考えたものです。幸いと言うか、中学、高校は海の近くにあり、2年前移って来た我が家も海に近い。授業中、心地よく感じた潮風を現在も居ながらに味わえる。至福の極みではある。
寄せては返す波の不思議さ、波はこの単調な繰り返しを何億年と続けている。穏やかな波、牙をむく激しい波を見ながら創造主に思いを馳せる。波の中から創造主の言葉が聞こえる。海に惹かれる根底には神への想いがあるからだろうか?
波を見ながら、神の愛、人間相互の愛を考える。愛は忍耐強い反復だと思う。愛は激しく、穏やかに寄せてきて愛する人に愛を伝える。愛される人が愛を感じるのはそういう時、しかし、波が引く時、人は愛が冷め、愛が失われたと思う。大干潮になると波ははるか彼方に行ってしまう。波は在り、愛は存在しているが、愛の反復を知らない、信じられない人は愛の喪失を感じ、絶望し、愛は破綻する。波が戻って来るように、愛は戻って来る、愛は忍耐を伴う、忍耐できないということは、愛がホンモノではないということかもしれない。
天皇ご夫妻の金婚式の言葉を聞きながら、お二人を結びつけ、50年間持続させたのは私たちと同質の夫婦愛、人間愛だと思った。天皇が妃殿下に感謝の気持ちを表わす時、一瞬言葉を詰まらせた。一人の人間を見せられた。象徴となった現在でも、皇室は特別な存在、ある意味、非人間的存在であることを求められる。しかし、皇室は人間集団であり、人間家族である。この矛盾をどのように統合(止揚=アウフヘーベン)するのかが、大きな課題だろう。皇太子特に雅子様はその課題の狭間で苦しんでいる。
過去・現在・将来の天皇制を厳密に検証し、予測することは日本の歴史を真剣に考えようとする者には最重要な課題である、簡単に無視したり、否定できるものではない。日本史上の小さな「赤穂事件」に拘るのは、謎に包まれた内匠頭刃傷の要因に天皇家の問題があったのではという長い間の疑問解決に迫りたいからです。