2010年2月 9日 (火)

「鬼は外、福は内」いろいろ

        枯芒(かれすすき) むかし鬼婆 あったとさ     一茶

      Withered pampas grass; Now once upon a time

                There was an old witch.

 俳句英訳の古典的名著となっているプライス氏の4巻本をほとんど毎日読みながら、彼の努力に頭が下がるが、翻訳、特に韻文の場合、の難しさと限界を覚える。外国語を学ぶとは異文化を理解することでなく、まさに違いを認識することではと思うようになった。異性に同質性を求めるから破綻する、違いを認めれば愛が深まる、愛は相互理解でもあるから。芒は外国にないから、パンパス(草原)の草、鬼はウィッチ(魔女)とする。一茶の句は英語では「草原を箒(ほうき)に乗って疾駆(しっく)する魔女が、昔いました」ということになる。

 昨日までの厳しい寒さが嘘のように、今日は暖かい、暦の上だけでなく春を感じる。近畿では1,2と言われる「綾部梅林」がすぐ近くにある、2月が見頃で週末には国道が渋滞する。神戸、大阪ナンバーも多い。節分の「豆まき」各地で盛大に行われていた、朝青竜は予定変更で姿を見せず、それも出来なかった高砂親方が隣で大声をあげる白鳳?とは対照的に無言で豆をまく姿が滑稽であり哀れでもあった。

 節分の「豆まき」には「鬼は外、福は内」という「掛け声?呪文(じゅもん)?」が唱えられる。奈良・平安時代の昔から言われてきたのだろうが、鬼は災いの象徴だから追い出し、幸福を呼び込むという人間共通の心理だろう。追い出された鬼はどこに行くのだろうと長い間、悩み考え続けた。まさか、よその家に行ってくれとは願わないだろう。最近、「鬼は外」を言わないで「福は内」だけ唱える社寺がいくつかあることを知って嬉しくなった、個人は仕方がないが、寺社は鬼を引き受け、改心させる気概が欲しい、宗教を名乗る最低条件である。

 「鬼とは何だろう」と考えもした。鬼は奈良時代に書かれた最古の歴史書「古事記、日本書紀」に恐ろしい妖怪として描かれているからずいぶん古い。仏教の地獄思想が起こると現在のような具体的存在として絵画化される。赤鬼、青鬼で角がある、なぜかそれ以外の色をした鬼はいない。赤は残酷、青は冷酷を意味するのか思ったりもする。鬼が物語の主役や脇役となって意識されるようになるのは、平安時代に書かれた「今は昔・・・」で始まる民話の集大成「今昔物語」からである。この書物を一般化させたのが芥川龍之介であることは良く知られている、彼はチャッカリと鬼を小説の題材に用いている。

 この書物では、鬼は単なる妖怪や化け物でなく、人間の内奥にある「悪の意識」を具体化、具現化した存在になる。大江山の鬼を退治した坂田の金太郎など、史実と神話が微妙に合成される。桃太郎の話はない。

 幼いころ、節分の「豆まき」をした記憶は1回しかない。敗戦半年前、食糧不足で豆などない時、警察官の家庭で「豆まき」をする指令?が出たのか、多量の豆が特配され、全署員でそれを煎り、持ち帰った。たび重なる空襲と軍事工場優先策のため、家庭の電気は停電が多く、そうでない時も出力を落とした「ローソク送電、線香送電」の日々だった、見分けもつかないような暗がりで「鬼は外」の掛け声で畳の上の豆をひたすら拾って食べた。戦時中、米英は鬼と教育されていた「米鬼」は日常語になっていた。敗戦直前の「豆まき」には最後の儚い「必勝祈願」が込められていたのかもしれない。

 

2010年2月 5日 (金)

風雲急!嵐を呼ぶか「春立ちぬ」

       能なしは 罪もまたなし 冬ごもり   一茶

    Merit-less,And Guilt-less;Winter seclusion.

 一茶は、人生の穏やかな隠遁生活を「冬籠り」で表現しようとしているのか?。彼の別の句にあるように「五十にして冬籠りさえならぬなり」という現実があった。ゆったりと「冬籠り」できる人は、人生を平凡に生きた「能なしの凡人」だと揶揄しながら、平凡な人生を予見できない者の不安と自嘲が交錯した宗教的境地が込められた一茶の一面を知る名句だと思う。

 今日は私事ではあるが48回目の「結婚記念日」一人残されてこの日を迎えるとは、まさに夢想だにしてなかった。平凡な人生が許されない運命なのかと嘆くのは甘えすぎ、神の意思を探り続ける日々を過ごしたい。

 昨日は立春、「鬼は外、福は内」の意味を考えることにしていたが、「小沢幹事長不起訴」が決定、「平成維新」の重大事になり得る、「検察権力」について現時点での総括もしなければならないがと焦る。民主党支持率下落に歯止めがかかればと願っているが「納得がいく説明」を求めている世論に変化はないだろう。納得するとはどういうことか、もし100%の事実解明を望んでいるならば、それはない。愛する人を完全に理解し、納得することはないが、喜びも悲しみも共有して生きることに心からの充実感を持つ、愛があるからです。納得とか理解の根底には愛が求められる、愛の美名で、理性を曇らせてはならないが、政権交代を愛し、実現を希求している者は「小沢問題」を過大化しない。小沢さんは7月参院選前の最も効果的な時機を見計らって幹事長を辞めるはずです。

 鳩山さんにとって今回の「小沢事件」は、一先ず「政高党低」(理想的には対等関係)状況を作り出す絶好機です。小沢さんの首に鈴をつけること、他人に頼らず自分ですること、そう言えば鳩山氏は宇宙人でなく、猫に見えてきました。小沢さんをネズミでは可哀そう、喧嘩好きな猛猫(読み方知らず)としましょう。

 今日、急遽予定変更は良いが、書きたいことが多く、頭の中はパニック状態です。昨日、朝青竜が「横綱引退」を表明しました。解雇と思っていただけに意外も意外です。彼については2年半前「相撲は国技か」と題して書きましたが、さらに、書きたいこと増えました。いずれ、その気になったら書くでしょう。一つだけ「横綱の品格」が盛んに言われています。品格とは何ですか?さらに「横綱の品格」とは何ですか。モンゴルの暴れん坊青年に分かる道理がありません「品格、品格と言うが、土俵に上がれば鬼になります」と彼は味わい深いこと言っていました。彼のそばに品格を具現化したような先輩(例えば貴乃花)が終始居たならば、少しは分かったかもしれないが、高砂親方では・・・もっとも親方は「理事長選挙」で目と鼻の先に座る公正な立会人を許容する現在の相撲協会の理事たちとは同レベルの品格は持ち合わせています。

2010年2月 2日 (火)

「そこまで言って委員会」を観なくなった理由(わけ)

        炭の火や 齢(とし)のへるも あの通り    一茶

          This charcoal fire; Our years decline

               In just this same way.

 大学入試センター試験が、追試験も含めて先日終わった。受験指導した頃を懐かしんで、毎年、新聞紙上の「問題」を見るが、年ごとに難解度が増し、いつか全部、目を通すこともなくなった。最近、英語を書く?のは週2回の俳句の英訳だけになってしまった。易しい単語のスペルリングも忘れかけている、一茶の言うとおり、勢いがいい真っ赤な炭火も時間とともにそれを失い、いつか灰になってしまう。一茶の句は可笑し味があって、物悲しい。

 以前「そこまで言っていいんかいを観ている理由」を書いた。元来、政治や思想の議論番組が大好きなため「70年安保」時盛んだったその種の番組を楽しく、適当に興奮しながら観た。中でも田原某司会の「朝まで徹底ナマ討論」には早朝まで付き合った。

 世間がバブル期に入り、政治や思想無関心層に占拠され、自民党中心の政権が長々と続くようになるとTV界は正体不明のヴァラエティ番組、ワイドショーも芸能、グルメ物が主流となり野球中継以外観る物がなくなった。偶然「たけしのTVタックル」を観るようになったが、議論とは程遠い自己主張のブツカリアイ、中でも自分と違う意見は腕力でも封じかねない元自民党代議士のHの横暴さとそれを許すたけしに絶望して縁を切った。

 関西特有のアクの強さを個性にした、やしきたかじんのファンだったので彼が司会する「そこまで言っていいんかい」をいつか観るようになった。「TVタックル」よりはマシだと思い込み、ある程度評価して「そこまで言って委員会を観ている理由」を書いてしまった。軽率であり、浅はかだった。猛省している。

 私が観たいのは「議論番組」であって「討論にも値しない討論番組」ではない。議論と討論の違いについて何度か書いているが、改めて、ごく簡単にいえば、議論は他者との激しい理性的論争によって「より良い結論」を導き出す共同作業である。討論は他者との違いを明確に認識し、厳密な自己吟味をすることである、正しい討論は極めて理性的に行われる。敢えて好例を挙げればNHKの「政治討論」だろう。

 原理主義者は議論番組に出てはいけない、彼らは自分の考えや思想を絶対化しているから、違う人の考えを理性的に聴けない。彼らにとって「議論」は自分の同調者を得るためのものでイカガワシイ宗教の布教と同じである。イエスを十字架刑にしたのは、ユダヤ教指導者の原理主義だった。原理主義は人間を殺し、神を殺すことを知るべきである。原理主義を克服できるのは「真の自由」もたらす「イエスの福音」だけである。

 「そこまで言って委員会」準レギュラーに原理主義者K女史に加えて田母神氏が入っているのを観て愕然とした。さらに、灘高出身で東大落ちを自慢するKが、ゲストを罵倒していた、政治評論家Mの自己主張の酷さは我慢していたが、それも限界に達した。今後、この番組は見ることはあっても、観ることはないだろうから、一応「グッドバイ」を言う。以前のブログは削除しない「恥の記録」として永久保存する。

 1月末のアクセス総数25.346通有難うございます

 

2010年1月29日 (金)

太宰治・弱気なエゴイスト

       留守の間に あれたる神の 落ち葉かな   芭蕉

The god is absent; His dead leaves are pilling,And all is deserted.

 神無月(11月)、神不在の神社を芭蕉はこのように詠む、前回の一茶の句とは大違い。「俳諧歳時記」の神無月の項には10句紹介されている、芭蕉のこの句が第一句、一茶の句はない、俳句界の評価はこんなものだろう。

 昨年は太宰治生誕100年とかで、太宰ブームなるものもあったらしい。実際、彼の著作が例年以上に売れたり、作品が映画化された。ブームをきっかけに新たに知ることもあるから、悪いことでもないと思ったりもする。数年前、モーツアルト生誕何年かのブームがあった時、あることで嫌いになったモーツアルトの小品に心打たれた、ブームは怖いが、満更ではないと思った。

 太宰治については書きたいこと山ほどある、彼を退廃的(デカダンス)と言って毛嫌い、軽蔑する人はある意味、健全な精神の持ち主だろう。一人の人間を簡単な一言で表現するのは、間違っている、人間はそんな簡単な生物ではない。山田風太郎は太宰を「弱気なエゴイスト」(人間臨終図巻Ⅰ)と断じている、山田らしくて、それはそれで良いかもしれない。

 前回、太宰のこと書いて、30年ぶり、それ以上か、彼の作品が無性に読みたくなり「人間失格」と「ヴィヨンの妻」を読んだ。30分もかからなかった、彼の作品の魅力は全てが短編であること、彼自身は何度か長編小説に挑戦したらしいが断念している。日本人は長編小説は好まない、吉川英治や司馬遼太郎には多くのファンがいるが、彼らの作品が読めるのは若い時であるか、相当の義務感を持っている人たちである。老・高齢化が進行すると日本では長編小説が書かれなくなるだろう。それにしても、外国文学には長編が多い、国民性の違いだろう。ドストエフスキーの「カラマゾフの兄弟」が読めたのは若気の至りと自嘲しながら感謝する。そのころ「罪と罰」が短編小説に思えたのが今でも不思議。

 太宰の第一創作集は「晩年」(1936年、27歳)彼は作家生活を、希望に溢れた青年期に始めたが、すでに人生の終わりと対峙している。なんとも不安な作家生活のスタートである。翌年、妻初代の姦通事件が原因で心中を図り未遂、離別する。

 翌年の「20世紀旗手」は彼の真骨頂である、甘え、道化、ユーモア(まさに人間的な)に満ちたサーヴィス精神を凝縮した「生まれてすみません」と冒頭に記す。死の1か月前、完成した「人間失格」は「恥の多い人生でした」で始まる。この作品を太宰の遺書だと思っているが、彼はこの時ですら、役者を演じて、「偶然入手した、ある狂人の手記を小説にした」と断っている。弱気な人は自分の恥を赤裸々に語れない、太宰を「弱気」の一言で片づけていいものか。山田はさらに、彼をエゴイストと呼ぶ、エゴイストは「自己中心、自己絶対主義者」である。そうでない人がこの世に居るか?!イエスが罪人と呼ぶのはエゴイストのことである。イエスを信じるとは自分がエゴイストであることを認め、自己絶対主義を自己相対主義に転換する(させられる)ことである。自分がエゴイストであることを認めない人は、簡単に他者を手段にし、時には傷つけ、殺す。

 太宰は自分がエゴイストであり、自分以上に他者を傷つけて生きていること知っていた。さらに彼は人間のエゴイズムを救済できるのは神だけであることさえ知っていた。さらに彼はイエスの救済が実に単純であること「神に祈れば良い」ことも知っていた。しかし「お父さん(太宰治)はどうしても祈れないんです」と告白する、彼ほど祈りを真剣に考えた人は少ない。

 太宰が死ぬ1年半ほど前から、頻繁に(3日に1度ほど)彼を訪ねていたジャーナリストの野原一夫氏は「太宰治と聖書(新潮社)」の最後に「太宰の死に顔は、じつにおだやかだ。・・・・生前にも、こんなにおだやかな、安心しきったような太宰の顔を、私は見たことがなかった。・・・そして私には、太宰の末期(まつご)の眼に、イエス・キリストの俤(おもかげ)が、遠く小さく見えていたのではあるまいかと、そんな気がしないでもない。」と結んでいる。

 

  

2010年1月26日 (火)

太宰治の映画観

         我宿の 貧乏神も 御供せよ    一茶

Poverty-stricken Gods of my house,Pray accompany them too!

 一茶の面目躍如、思わず笑ってしまう。神無月(10月)には全国の神々が出雲に集まるので、日本中神不在になる。もっとも地元だけは10月を神有月と呼ぶそうだ。天皇家の祖先を神まで遡(さかのぼ)らせ、近畿中心の皇室史、日本史を記述した「古事記」「日本書紀」は神々の総元締めは出雲大社であるとする民間伝承と矛盾する。天皇家には出雲の国の支配者だった大国主神(おおくにぬしのみこと=大黒様)の血が入っているかもしれない。歴史は面白い。

 先日「キネマの文学誌」(齋藤慎爾編・深夜叢書社)という本を買った、明治以降「文豪」と言われる人を中心に文学者の映画論、映画観、映画雑考があり、楽しく読んだ。太宰治が1941年(昭和16年)の雑誌「日本映画」1月号に寄せた「弱者の糧」と題した一文があった、まったく予想してなかったので大いに興奮した。彼と映画は結びつかない、映画とは無縁の人だと思い込んでいたので実に意外だった。例のごとく彼は照れながら「映画を好む人には、弱虫が多い」と冒頭で述べる。彼が本音を素直に語る場合、いつも「照れ」と「道化」がある。

 悲しみを大袈裟に表現するのが彼の特徴であるが、その中には彼の血肉にもなった「サーヴィス精神」がある。太宰は他人と真面目に話し合うことが苦痛だったようだ、自分をピエロにしてでも笑わせようとする、芝居を演じる、そのことによって自分の本性が暴露されるのを避けようとする。俗にいえば、いつも「笑いで誤魔化す」ことばかり考えていたように思える。彼にとって絶望的な自己嫌悪と弛(たゆ)みない「サーヴィス精神」は表裏一体だった。そのことに疲れて、自己逃避としての自殺を何度も繰り返したのでは単純に考える。

 以下、彼のオーヴァな表現と映画観を要約引用します。味わってください。

 5年前、「新佐渡情話」といふ時代劇を見たが、ひどく泣いた。翌る朝、眼がさめて。その映画を思ひ出したら。嗚咽が出た。・・・・・・・どうせ、批評家に言わせると、大愚作なのだらうが、私は前後不覚に泣いたのである。あれは、よかった。・・・・・私は、映画を、ばかにしてゐるのかも知れない。芸術だとは思ってゐない。おしるこだと思っている。けれども人は、芸術よりも、おしるこに感謝したい時がある。そんな時はずゐぶん多い。

 やはり5年前、・・・くるしまぎれに市川まで、何のあてもなく出かけていって、それから懐中の本を売り、そのお金で映画を見た。「兄いもうと」といふのを、やってゐた。この時も、ひどく泣いた。おもんの泣きながらの抗議が、たまらなく悲しかった。私は大きな声を挙げて泣いた。たまらなくなって便所へ逃げて行った。あれもよかった。私は外国映画は、あまり好まない。以上。

 どこまでが事実であるか分からない、本当に映画を観たのだろうか、特に「兄いもうと」の方は創作の気がする。兄は彼の実兄で、泣きながら抗議する妹は太宰自身のことではと疑いたくなる。

2010年1月22日 (金)

「平成維新」(10)風雲児・小沢一郎の正念場

         冬枯れや 世は一色に 風の音   芭蕉

    Winter desolation;In a world of one colour

            The sound of the wind.

 150日間の「通常国会」が始まった、国民の圧倒的支持を得て、日本国政史上初の政権交代を果たし、明治維新に匹敵する「平成維新」を期待された鳩山民主党政権の雲行きが怪しくなった。内閣支持率が50%を切った、期待が過大だっただけに失望も大きいということか、今国会の乗り切り方、さらに、あと3年以上あるから独自色を出して行けば多くの主体的主権者の信頼を取り戻すことができる。

 TVの「国会中継」が面白い、今回ほど熱心に見たことはない。阪神対巨人の試合以上に緊張する。もっとも現在の自民党には巨人ほどの強さがないから気楽ではあるが、「小沢疑惑問題」の結果によっては7月の参院選で自民勝利の奇跡があるかもしれない、小沢氏の今後の動向は民主党政権の命運を左右するほど重大である。

 かつて、田中角栄元首相を「ロッキード事件」で有罪にした東京地検特捜部(以下特捜部)は以後、多くの政治家を告発して、政治生命を奪い、まさに「正義の番人」としての評価を高めた。時代の権力を掌握する者たちには「恐るべき存在」が不可欠である、特捜部はその役割を果たしてきたが、自民党の実力者金丸副総裁の脱税疑惑立件に失敗、鈴木宗男議員の立件有罪にも手古摺っている。人間の組織に完全(善)なものはない「正義の番人」であることを目標にするのは良いが「正義の番人」であると思い込んでいる検事たちが居れば「検察ファショ」と言われる「警察国家」が生まれる。

 小沢一郎は政治の師、個人的には親父としていた田中角栄が権力の絶頂から、被告になる姿を約7年間、裁判所の傍聴席で見続けた。事の是非はともかく、田中を厳しく論及する検事たちに対して穏やかな心境にはなれなかっただろう。小沢と特捜部との因縁とも言うべき関係が始まった。小沢は田中から学んだ「政治は力」を信奉している、力は権力であり、権力は多数、多数を得るためには金が必要である。奇麗事を行っても、いざ選挙となれば「頑張れ」と肩を叩いて励ますだけよりも、田中のように現金入りのスーツケースを渡す方が効果抜群であることぐらい誰でも分かる。

 小沢は金権選挙を清算することもあって「小選挙区制」を導入したが、同時に施行された「政治資金改正法」の運用に疑惑が持たれているのは皮肉である。小沢と検察のいずれに正義があるのか永遠に分からない。相対的な法的正義を巡って全面対決をすべきであり、明日、小沢は検察の事情聴取に応じる予定と報じられている。長期間に亘る戦いが始まる、全国のある者は真剣に、ある者は興味本位で見守っている。政治に大きな関心が寄せられることは喜ぶべきである、民主主義が深化する。

 小沢には参院選に勝利するため、適当な時機に幹事長を辞任し、一兵卒として民主政権を支え、波乱の政治人生を終えることを望む。「三国志」で曹操が街頭の易者から「乱世の英雄、治世の奸雄」と言われ呵々大笑する、小沢と重なる。20日の「朝日川柳」から2句。

 政界と司法で演じる西部劇     何にでも小沢くっつけ解説す

2010年1月19日 (火)

阪神・淡路大震災15年、愛する人の死

       二人見し 雪は今年も 降りけるか    芭蕉

         The snow we saw come down,-

           Has it fallen,This year too?

 芭蕉の句が難解な私にも、この句意はどうにか分かるから、良い句だと思う。俳句に限らず、芸術・文学作品などの価値判断はエライ評論家などの言うことは無視して最終的には自分が決めるべし。専門家にはそれなりの考えもあるだろうから顔を立てて適当に参考にすれば良い。

 阪神・淡路大震災(以下阪神大震災)が起こって15年になった、あの時の激しい揺れの恐怖は今でも鮮明に覚えている。妻と娘に着替えを言って、階下のソファに3人で揺れが収まるのを待った。姫路は震度5だったからそれで終わったが、神戸市の激震地は7であったため、全・半壊住宅は20万戸を超え、地震による死者6432人の約8割が圧死だった。我が家がそこに在ったらどうなっていたか分からない。

 地震当日はいつものように出勤し、部活、補習をして6時前に帰宅した、生徒の欠席者もあまりなかったが、明石以東の者は来なかった、神戸から来ている教師は来なかった。帰宅してTVで地震被害と、燃え盛る長田の状況を見てその凄まじさに声も出なかった。関東大震災以来の大地震であることを知らされ、実感した。その後すぐに明石、神戸に行って被害の甚大さを経験したことは以前のブログに何回か書いたので割愛する

 大震災後15年の今年、私の思い違いかもしれないが愛する人を失った方々に関する報道が多いように感じる。妻の死後5年以上、毎晩「NHKラジオ深夜便」を点けっ放しで寝るのが習慣になってしまった。14日だったか、児童文学者の上中まさみ(正確ではない)さんが語ったことがあまりも強烈であったため「愛する人の死」に捕われたのかもしれない。

 上中さんには5歳の大志君と1歳の女児がいた、震災の日、2階は崩れ1階で寝ていた4人は下敷きになり身動きできなくなった。夫と女児は自力で這い出る空間があったが、まさみさんと大志君には無かった。刻々と冷たくなる息子の身体から死の確実さを知り、夫に「私はこの子と死ぬから、あなたは娘のために生きて」と叫んだ。約5時間後、彼女は救出される。長い間、息子の死を背負って生き続けるが、その思いを文章にする。

 残念ながら彼女の作品は読んでない、しかし、彼女が地元の小学生に語った言葉に圧倒された。「頑張れと言わないで欲しい、その言葉は歩けない人に、歩けということと同じ」「あなた方に大志の分まで生きてとは言わない、自分のために精一杯生きて欲しい」最後の言葉は私には大きな慰め、励ましになる。「これからも悲しみを臓器の一部として生きます」。

 愛する人を失った悲しみをそのまま受け入れ、いつまでも感傷的に思い出だけにすがって生きるのでなく、自分の身体の一部に同化させ、悲しみながら、笑いながら強くたくましく生きる。愛する人の死を超えてて生きるとはこういうことだろうか教えられた。

 数日前、中南米で最貧困といわれるハイチが大地震に襲われ、20万人以上の死者が出ている。昨年、長い間教会生活を共にした女性が、大きな希望を抱いてハイチに行った、彼女は無事だろうか心配でならない。

 

2010年1月15日 (金)

人は何故本を読むのか

           長き夜や 孔明死する 三国志     子規

         The long night;

        Reading the History of the Three Kingdoms,

         Up to the death of Koumei.

 最近、子規の句が多いような気がする、意識しているわけではないが、結果的に好きな人を選んでしまう、子規よりも一茶の方が面白いが、その割に彼の句が少ない何故だろう。

 毎日、新聞を読みながら各面の下段が本の広告で埋められているのを不思議に思っているが眼を通すのが楽しい。たまに切り抜いて注文することがある。寂れてしまった商店街に「町の本屋さん」が頑張っている、ささやかな激励の意を込めてこの3年間ほとんどの本は、そこで購入した。本棚の一角に4,50年前の本が並んでいて古書店の趣も楽しめる。

 実用書や小説類の広告多いが、ほとんど推理、時代小説、いわゆる文芸物は少ない。嬉しいのは学生時代馴染みの「世界」「中央公論」等が頑張っていること、極めて専門的と思える書名を見つけた時、例えばチェコ語やハンガリー語の入門書、高価なギリシャ語大辞典、中世荘園制の研究書などの広告を見ながら、今どき読む人が存在することを知らされたようで嬉しくなる。

 「人は何故読書をするのか」最近考えるようになった。人間の本能には、食欲、性欲と同様に知識欲があり、それが読書の一因になっていると思えるので「人は・・・」と一般論にした、間違ってないと思う。読書は人間の本能的営みである。

 人間は時間と空間の制約の中で生きる儚い存在であるが、限られた時空の制約を可能な限り押し広げて、より長く、より広い世界で生きることを願う。本が与える世界がそのことに応えてくれる。読書は行ったこともない場所と、何年も前の世界に読者を誘う。

 文学作品の多くは、時には感動、時には反発しながら多くの違う人間と出会い、経験や考え方を深め、豊富にする。読書によって世界観、社会観、人間観が多様化する。

 読書は多くの知識を与える、人間を賢く(クレバ)するが、真の賢さ=知恵(ワイズ)は本が与える知識を主体的に批判しながら実生活の中で確かめなければならない。多くの本を読んだだけの人は知識人や賢者、単なる観念論者にはなるが、知恵ある人にはなれない。よくTVに出る学者、評論家、知識人にはこういう人が多い。「テレビに出るバカ、出ないバカ」という言葉がある、「出ないバカ」は無害であるが「出るバカ」は聴視者が精査して仕分けしなければならない、そうでなければ、かつて大宅荘一(彼も仕分け対象者ではあるが)が言ったように「国民総白痴化」してしまう。

 若い時「読書量の多い人は偉い人」と思い込んで我武者羅に本を読み、あちこちの読書サークルに顔を出し互いに読書量を自慢し合ったものだ、今思えば赤面の至りであるが、多くの本を読んだことは決して無駄ではなかった、読書の目的が間違っていたが、人生、そんな時があっても良いのではとも思っている。それも青春時代の生き方の一つではあった

 

2010年1月12日 (火)

坂本竜馬・ブーム

         十一騎 面(おもて)もふらぬ 吹雪かな    子規

     Eleven knights Ride through the whirling snow

             Without turning their heasd.

 今年のNHKkの大河ドラマは「竜馬伝」、生来、短気で拘束されるのが嫌いなため連続ドラマ、それも六か月以上続くものは観ないことにしている(朝ドラの「とりとてちん」は生涯一度の例外)ので観る気はないが、第1回だけはボンヤリと見た。第1回は下級士族に対する上級士族の想像を絶する差別を描いていた。彼を初め、明治維新回天の中心になったのは体制に矛盾と不満を持っていた下級士族出身であったことを納得、首肯させるための重要な伏線にする意図だろう。

 武士階級を上下に分ける基準を単純化すれば①戦場で騎馬しているか否か②藩主(幕府では将軍)に「お目見」できるか否かである。勿論、俸禄によって決まる、幕府では200石以上を旗本・上士として「お目見」を許し、それ以下が御家人で下級武士としたが、諸藩では禄高の基準は曖昧である。

 竜馬は下士より下級の郷士に属している、郷士は西方大名に多い制度で半農または半商の武士、いざ戦の場合は駆けつけるが日頃は登城できず家業に励んでいた。土佐高知藩の初代藩主は妻のヘソクリで名馬を買ったと言われるほど馬好きの山内一豊である、騎馬武士としての上士の誇りや傲慢さ相当のものだっただろう。

 大分県中津の人、貧乏下士出身の福沢諭吉が「旧藩事情」で武士階級の身分差別のひどさをリアルに書いている。例えば、下士が上士と道で出会うときは土下座する、雨の日などは泥まみれになったそうだ。面白いのは上士は標準語に近い言葉で話すが、下士は方言丸出しで「見てくれ」を上士は「見ちくれい」下士は「見ちくりー」など懐かしい言葉に出会った。

 明治維新については先に予告した通り、まとめて書く積りであるが、史実性の追求では「忠臣蔵」ほど熱心にはなれない。竜馬が剣客だったというウソも真剣に反論する気もない。1つは昨今、特に最近の「竜馬ブーム」に嫌気がさしているからだろう。戦中、国を挙げての「戦争ブーム」に乗せられ、裏切られ、どこか屈折した気持ちを引きずって生きてきた者には、ブームに対する深い嫌悪感と警戒心がある。ブームの渦中に飛び込むことは危険。ブームは常に人為的、少数の賢人の策謀。英語のブームは一過性を意味する擬音語、音だけ大きな打ち上げ花火。ブームを冷静に、余裕を持って楽しめる人は、知恵ある人

2010年1月 8日 (金)

「シー・シェパード」恐るべき原理主義者たち

   いろいろの 名もむづかしや 春の草      酒堂(しゃどう)

All the various Difficult names,-Weeds of apring.

 酒堂(?~1737年 )江戸中期の人、近江国・膳所の医者、尚白を経て芭蕉の門下となる、同門の芝道と不仲になり、芭蕉の葬儀や追悼の催しにも欠席。句集を多く残している。

 昨日は「七草(種)の日」陰暦の正月は現在の2月、新春・初春ともいうから、この日お粥に入る七種の草を「春の草」と考えてもよい。新年の邪気を払い、万病から守られることを念じて食べる奈良時代からの風習であるが、幼いころから改まって食べた記憶はない。農家出身の平凡な女性で5人の子育てに追われた母はそのような風流心とは無縁の人だったこともある。当然、7種の草の名など知らない。知人に「7草粥」原理主義者がいた、元旦から毎日1種類の草を入れた7種のお粥を7日間食べるのが本来の7草粥の食べ方だとして厳守していた。7日目はぜんざいのようなお粥だった、甘いものには目がないから、強引に押し掛けて、度々ご相伴(しょうばん)にあずかった、食前の前口上が長いのには閉口した、楽しい思い出。

 米国の環境保護団体の過激派「シー・シェパード」が、今年も日本が実施している調査捕鯨を阻止するため、連日、妨害行動を繰り返している。一昨日、ご自慢の新造船が捕鯨船と衝突して大破した。死者が出てないので、気兼ねすることなく拍手喝采する。

 地球上の生物は生きるため他の生物を食べている、全ての生物が共存共栄できないで「弱肉強食」が原理となっている。神が創造された宇宙と生命の現実的仕組みである、神の摂理は考えられているほどアマッチョロイものではないことだけを知らされる。

 クジラを食べる民族は食べない人たちには許されないかもしれない、だからと言って暴力で他民族の食文化に干渉することが正しいとは思わない。敗戦直後、日本人に餓死者が少なかったのは魚とクジラの御蔭であるのは事実。この間に「捕鯨オリンピック」と称して、ついに捕鯨大国となった日本の乱獲は批判されても仕方がない。現在、南極で行われている調査捕鯨はその反省から行われている。クジラを貴重な食資源としている世界中の捕鯨国がしなければならない良心的責務だと信じる。

 動物の生命を尊重して「肉食禁止」を守る宗教や団体がある、それはそれで立派だと思うが私の現実主義にはならない。「ヴェジタリアン(草食主義者)」という伝統的な団体が世界中にある、立派な人たちだと尊敬する。ただ全ての人がヴェジタリアンになったらどういう世界になるのかと考えたりもする。

 ともあれ、「シーシェパード」の人たちは全員ヴェジタリアンだと思う、もしそうでなければ彼らの行為はまさに欺瞞性そのものである、即刻、恥じて帰るべし。もともと、クジラを乱獲していたのは1800年代の欧米諸国である、彼らはクジラの油を採るために捕鯨し、大部分は廃棄している。一個の生命体に対してこれほど理不尽な行為は断じて許せない。米国は沿岸のクジラを獲りつくし日本まで来て、幕末の動乱を引き起こした。

 肉食民族の異民族や動物に対する生命観は、日本人の想像を超える。ヨーロッパ諸国が植民地獲得のため、先住民を殺し、滅ぼした残虐性。シーシェパードを支援しているオーストラリア・ニュージーランドが、かつてアボリジニを絶滅寸前まで追い詰めたことを真剣に反省しているのか。米国が入植初期、先住民とどのように対したか。当時、300万頭以上いた野牛(バッファロー)を殺すだけが目的の観光ハンティングで、10年足らずで3万頭にしてしまった、動物殺戮本能を遺伝子に持つ人たちが、なぜクジラの生命にだけ拘るのか。自己清算、自己検証を常に厳密にしないと、目的のためには手段を選ばない原理主義者になる。

 シーシェパードの人たちに是非してもらいたいことがある。あなたたちの祖先がアフリカから奴隷船に乗せ、90パーセントを船内で殺し、米国で奴隷として酷使した黒人たちは、今でもすさまじい差別に曝されている。米国内の「人種差別」の完全撤廃のため命を賭して戦うため真の勇気を持って、明日から実践するならば、心からなる拍手を送りたい。