「太宰治と信仰」Aさんの批判的感想(2)万能人信仰の破綻
瓶わるる 夜の氷の ねざめかな 芭蕉
I woke up suddenly,
With the ice of night
When the water-pot butst.
今冬いちばんの寒さが続いている、氷点下1度で極寒を感じるが、北海道では氷点下30度の地があると報じられている、想像もつかない。寒冷地帯は冬の備えが万全だから、室内は暖かい工夫がしているだろうが、そうでない所は「隙間風」がこたえる。ガラスがない時代は大変だっただろう。枕元の水差しか台所の瓶か分からないが、中の液体が凍って割れることは有り得ただろう、冬の夜の寒さが伝わる句である。芭蕉にも分かりやすい句がある。
Aさんのこと 私は万能人はいないと信じている、そのことを教えてくれたのがAさんだった、感謝している。人間誰でもある分野に優れた能力を持っている、その能力を見出し、伸ばす手助けしてくれる人と出会える人は幸いである。その意味で、両親や教師の存在は大きい。生徒が持っている能力を見出し、深化・向上に寄与できる教員は良い教師と言える。そのためには「体育はいいが、それよりも英語かできるようになってもらいたい」など能力差別をしないことである。全教科できる生徒は居ないはずであり、いると思っているのは大きな過ちである、そういう生徒は学校のテストに強い、単なる小賢しい人にしか成れない。考えるよりも点取り技術に長けた生徒を「良い生徒」としてきた教育が現在日本の政治的、社会的、道徳的荒廃をもたらしたと思える。
神学校時代、一時期、Aさんを「万能人」と思い込んでいた。自分は読書人だと半ば自惚れていたが、彼の読書量には圧倒された、日本はもとより欧米文学に関しては足元にも及ばないことを知らされた。彼は2学年だったが、神学科の講義にも顔を出していた、勿論、単位にはならないが知識欲旺盛だったのだろう。「キリスト教教理史」を受講し始めた時、図書室で、著名な英国神学者の分厚い著書を手にして「あの先生のネタ本はこれですよ、清水さんの手伝いをしましょう、訳しますからノートしてください」と言って片隅の机に向かい合って、英書片手に30ページほど1時間かけて和訳してくれた、いわゆる同時通訳である。「これで今学期はいけます」言葉通りだった、その後の授業は実に楽だった、出席率は良くなかったが良い評価を頂いた。彼の語学力に驚嘆した。
彼は、オルガンが上手だった、教会の聖歌隊を指導していた、土曜日の練習にやや音痴の私を強引に誘って参加させた。苦痛だったが、キュートな女子大生がいて、練習後Aさんと彼女を寮まで送っていくのが楽しみで熱心に参加した。彼は私が彼女に好意を抱いていることを感づいていたようだがからかわれることはなかった、私としてはやや不満だった。
神学寮の空き地でほとんど毎日ソフトボールを楽しんでいた、私がヒーローになる時だった、「清水君は牧師になるより、プロ野球選手になるべきだった」とみんなからオダテラレテ得意満面だった。Aさんは見ているだけだった、ある日、嫌がる彼を誰かが強引に引きずり込んだ、長身であるだけに、その下手糞ぶりは目立った、私は呆れるより可哀そうになった。その時「世の中に万能人はいない」ことを悟った、同時に安心した、ますます彼が好きになった。