「鬼は外、福は内」いろいろ
枯芒(かれすすき) むかし鬼婆 あったとさ 一茶
Withered pampas grass; Now once upon a time
There was an old witch.
俳句英訳の古典的名著となっているプライス氏の4巻本をほとんど毎日読みながら、彼の努力に頭が下がるが、翻訳、特に韻文の場合、の難しさと限界を覚える。外国語を学ぶとは異文化を理解することでなく、まさに違いを認識することではと思うようになった。異性に同質性を求めるから破綻する、違いを認めれば愛が深まる、愛は相互理解でもあるから。芒は外国にないから、パンパス(草原)の草、鬼はウィッチ(魔女)とする。一茶の句は英語では「草原を箒(ほうき)に乗って疾駆(しっく)する魔女が、昔いました」ということになる。
昨日までの厳しい寒さが嘘のように、今日は暖かい、暦の上だけでなく春を感じる。近畿では1,2と言われる「綾部梅林」がすぐ近くにある、2月が見頃で週末には国道が渋滞する。神戸、大阪ナンバーも多い。節分の「豆まき」各地で盛大に行われていた、朝青竜は予定変更で姿を見せず、それも出来なかった高砂親方が隣で大声をあげる白鳳?とは対照的に無言で豆をまく姿が滑稽であり哀れでもあった。
節分の「豆まき」には「鬼は外、福は内」という「掛け声?呪文(じゅもん)?」が唱えられる。奈良・平安時代の昔から言われてきたのだろうが、鬼は災いの象徴だから追い出し、幸福を呼び込むという人間共通の心理だろう。追い出された鬼はどこに行くのだろうと長い間、悩み考え続けた。まさか、よその家に行ってくれとは願わないだろう。最近、「鬼は外」を言わないで「福は内」だけ唱える社寺がいくつかあることを知って嬉しくなった、個人は仕方がないが、寺社は鬼を引き受け、改心させる気概が欲しい、宗教を名乗る最低条件である。
「鬼とは何だろう」と考えもした。鬼は奈良時代に書かれた最古の歴史書「古事記、日本書紀」に恐ろしい妖怪として描かれているからずいぶん古い。仏教の地獄思想が起こると現在のような具体的存在として絵画化される。赤鬼、青鬼で角がある、なぜかそれ以外の色をした鬼はいない。赤は残酷、青は冷酷を意味するのか思ったりもする。鬼が物語の主役や脇役となって意識されるようになるのは、平安時代に書かれた「今は昔・・・」で始まる民話の集大成「今昔物語」からである。この書物を一般化させたのが芥川龍之介であることは良く知られている、彼はチャッカリと鬼を小説の題材に用いている。
この書物では、鬼は単なる妖怪や化け物でなく、人間の内奥にある「悪の意識」を具体化、具現化した存在になる。大江山の鬼を退治した坂田の金太郎など、史実と神話が微妙に合成される。桃太郎の話はない。
幼いころ、節分の「豆まき」をした記憶は1回しかない。敗戦半年前、食糧不足で豆などない時、警察官の家庭で「豆まき」をする指令?が出たのか、多量の豆が特配され、全署員でそれを煎り、持ち帰った。たび重なる空襲と軍事工場優先策のため、家庭の電気は停電が多く、そうでない時も出力を落とした「ローソク送電、線香送電」の日々だった、見分けもつかないような暗がりで「鬼は外」の掛け声で畳の上の豆をひたすら拾って食べた。戦時中、米英は鬼と教育されていた「米鬼」は日常語になっていた。敗戦直前の「豆まき」には最後の儚い「必勝祈願」が込められていたのかもしれない。